「ある天文学者の恋文」のジュゼッペ・トルナトーレ監督
死んだはずの恋人(ジェレミー・アイアンズ)から送られてくる手紙やメール。それらに導かれ謎を解く女(オルガ・キュリレンコ)がたどり着いた真実とは? 9月22日公開される感動の新作「ある天文学者の恋文」を生み出したジュゼッペ・トルナトーレ監督に聞いた。
──この映画の着想は?
アイディア自体は、最近思いついたものではなくて、長年あたためてきたものです。長い間心の中にあって、常に気になっていました。その間にも私たちを取り巻くテクノロジーが発達し、新たな境地に達しつつある現実を目の当たりにして、しだいに「やれるな」と考えるようになりました。この映画が実現してとても嬉しいです。
──二人の恋愛は、年齢差があり、物理的距離、秘密に隔てられています。二人の恋愛はある意味特殊ですね。前作の「鑑定士」に似ているところもあると思いますが、この2作の関係はどうとらえていますか?
この作品にどこか『鑑定士と顔のない依頼人』を思わせる雰囲気があるでしょうね。確かに『ある天文学者の恋文』は、特殊な愛を描いたという点で、前作『鑑定士』のリバース・ショットようなものと言えるかもしれません。ただ実際には似ているのはそこだけで、二つの作品の主題はまったく別のものです。この作品では、「距離」という視座を通して愛を語りたかったのです。
登場人物の二人は、映画では一貫して互いに遠く離れた場所にいます。社会生活を送るための節度やルールなど様々な理由から、二人の恋愛物語には初めから逃れようのない「距離」の刻印が押されているのです。やがてこの距離が、突然おこった出来事でいよいよ決定的なものになってしまいます。その距離を埋めるには、過去にはありえないほど私たちの生活を大きく変え、現在、私たちの生活に欠かせないものになっているテクノロジーに頼るほかない、という状況になるわけです。
──物語をミステリー仕立てにすることで、観客は引き込まれ、ラストに驚きを覚えます。ストーリーを組み立てるにあたり、監督がこだわっているところは?
映画のスタイルは物語によって決まるんです。展開させるためにおのずとミステリー仕立てになる物語というものがあって、ミステリーの手法をとる物語の中でもさらに『鑑定士』のように、古典的なスリラーのような語り口になるものもあります。ですが、今回の作品のミステリーはまったく異なるタイプのものです。この作品には「謎解き」はひとつもありません。男性の主人公が、心から愛する女性のために事前に様々な手はずを整えていたことで、観客がミステリー映画を見ているような気持ちになることはあるかもしれませんが、実のところこの作品にはスリラーの要素はほとんどありません。映画の手法は、まずストーリーありきで決まるもの。だからこそ、脚本を書くときには、ストーリーの本質に周波数を合わせるようにします。するとストーリーそのものが、語り口もふくめた選択肢をおのずと与えてくれるんです。
この映画はごくシンプルです。ミステリー仕立てに見えるのは、映画にある手法を採用したという単純明快な理由からかもしれませんね。つまり、この映画は一貫して主人公の女性の視点で語られる、ということです。映画では、常に女性主人公がスクリーンに映っていて、彼女がいなかったり、彼女の視点や感情を介さずに描かれる瞬間は一瞬たりともありません。彼女は絶対的な愛の物語の中にいて、そこで予測のつかないことが次々と起こるのですが、映画がひたすら彼女の視点でこの経験を追いかけることで、見ている私たちは彼女と一体化することになります。彼女と一体となってうろたえ、驚き、身の回りで起こることを受け入れられれず、憤りさえ覚え、最後には彼女を不意に襲ったこのドラマを克服しようとする力を得ていく。その過程を彼女と一体化して経験することになるんです。視点を女性主人公のみに限定したことで、見る人が彼女と同じ驚きを味わうことができる。この映画がミステリー仕立てに見える理由は、まさにここにあるのでしょう。
──本作のキャスティングの決め手は?
ある時点で、登場人物がどんな人間なのかはっきりと意識し始めるので、キャストも自ずと絞られていきます。どんな動き方をするのか、どんな行動をとるのか、といった登場人物の姿がすでにある状態で、キャスティングのために様々な俳優に会うことになります。すると、この人こそが私が描いた登場人物だ、と瞬時に感じる俳優に出会うんです。オルガ・キュリレンコがまさにそうでした。彼女に会ってすぐに「彼女がエイミーだ」と感じたんです。
ジェレミー・アイアンズに関しては、もっと簡単でした。すでに2・3人の俳優が念頭にあったのですが、その中で最初にコンタクトをとれたのがジェレミー・アイアンズだったんです。彼は当時たしかアメリカにいて、私はイタリアにいたのですが、プロデューサーがスカイプで彼と話せるように手配してくれたんです。
──作品と同じですね
彼がモニターの中に現れた時は、まるで映画のワンシーンのようでした。何よりも役柄が持つ意味に関して即座に分かり合えたので、すぐにプロデューサーに電話して「他の俳優に会う必要はない」と告げたんです。というわけで、男性の主人公はジェレミー・アイアンズに決まりました。
──本作で、作曲のエンニオ・モルリコーネに依頼したテーマは?
友人でもあるモルリコーネが、今回これまで私の作品で一緒に作ってきたのとはかなり毛色の違う音楽を作曲してくれました。それは、彼のいつもの作風とも違っています。ごくシンプルで、ミニマル・ミュージック寄りの、電子音を多用した音楽になりました。モルリコーネは相変わらず素晴らしかったですね。現代的で、しかも音楽としての品格があり、かつての壮大な愛の物語を彷彿とさせるけれどレトリックに陥ることのないサウンド・トラックを作り上げてくれました。ストーリーがもたらす感情の起伏に寄り添ったり、歩調を合わせたりするタイプの曲ではありません。シンプルで本質的で、心が穏やかになるような音楽です。つまり、この映画の「ミステリー」や、スリラー的な要素を盛り上げるような音楽ではなくて、主人公の女性が心の平穏と静けさを求める気持ち、さらには彼女が自分自身と彼女をとりまく世界と和解したいと願う気持ちに寄り添うような音楽になりました。なかなか苦戦しましたが、モルリコーネはまたもや勝ちをおさめましたね。
──この作品で、ある意味死を超えて続く愛の形を語ったわけですが、この作品を撮り終えた今、監督にとって愛とは?
愛という偉大なる感情を永遠に持ち続けたいという願いは、昔から人間が抱く欲望の一つでしょう。ようやく愛する人と出会えたとしたら、この愛が永遠に続いてほしいと願う。愛し合うと、人はまずこの愛が決して終わらないように願うものです。そう考えると、人間のこの思いは昔から変わらない欲望なのでしょうね。現に、歴史上多くの人物がこの欲望を語っています。哲学者や作家や詩人や歌手や音楽家らがこぞって愛が永遠に続く感情なのかどうか問い続けていますが、愛を永遠にするための特効薬は誰にも発見できません。
ところが、今やテクノロジーが進化して、愛を永遠に存続させるのが可能ではないか、という幻想を私たちは抱き始めているようです。
この10年ほどで、テクノロジーは私たちの生活の規模を大きく広げてきました。今や、30年40年前には、とうていできなかったようなことも1日でこなせるようになっています。例えば、同時に複数の人とつながったり、物理的にいない場所でコミュニケーションをとったり。あらゆる種類のファイルを、どこにいても瞬時に送ったり受け取ったりもできる。ほんの30年前には考えられなかったことです。当時にしてみればまるでSFでした。
テクノロジーの進化によって、私たちの生き方が空間軸上でどんどん広がっていったことで、それが時間軸でも広がるのではないか、つまり、私たちの存在そのものの長さも伸ばせるのではないか、という幻想を抱くことにならないか。そういう思いを巡らせていくうちに、今や私たちの願いや行動が、私たちの存在を超えて続くのでは、という幻想すら抱ける状況に至っているのでは、と考えたのです。私たちは本物のテクノロジーと最先端の完璧な機器があれば、永遠の愛の願いすら叶うのではないかという幻想をも抱けるようになった。それでもやはり人間は人間のまま。人間の存在は永遠ではないのです。
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